ちばからの歴史

ちばからの歴史

「運命」

母子家庭で育った大将は、らーめんの習慣が全くなくらーめんといえば当時住んでいた三田の【ラーメン二郎】しか知らなかったそうです。建築業で働いていたものの業界に夢が持てず、30年近くも毎日行列してるラーメン二郎三田本店を見て、これだ!と思った大将はラーメン二郎で修業する事を決意をします。

仕事をしながら毎週昼に三田本店に顔を出すもなかなか受け入れてもらえず、その時に助手をしていた方が京成大久保店の店主になり、大将に救い船を出しました。
修業を積んだ大将は、横浜でラーメン二郎を出したくも思い描いていた立地で開店することが叶わず、そこで出来ないなら二郎ではなく独立しようと大きな決断をしました。

千葉に移住し、当時お好み焼き屋さんだった現女将の実家をリフォーム。
ちばからをオープンさせることとなります。

「創業期」

「長谷川君にはもう教える事がないよー!」と二郎京成大久保店の店主にお墨付きをもらい、僅か半年の修行で独立を決めました。
2014年10月に千葉県市原市に本店「ちばから」を開店。当時は千葉に二郎系らーめんは浸透しておらず、住宅地という立地もあり、2年以上は厳しい状態が続きました。
「初めの頃、2年以上は厳しかったね〜。立地的にも地元の人を取り込まなきゃいけないのに、みんな二郎系らーめん? は? って感じだった(笑) 。二郎系っていうジャンルも当時は全然なくて、独立だからこそ大変なことも多かったな…。」と、常々大将は話していました。

大将と現女将の諦めない努力の結果、雑誌や千葉のローカルTVなどで少しずつお店が広まり、実際食べた人の口コミでどんどんお客さんも増え、現在では二郎系らーめんの代表格として全国的な有名店にまで登り詰めました。

「発展期」

大将は「二郎系らーめん」を千葉から広めた第一人者となり、その後、渋谷道玄坂店、経堂店、郡山店、蒲田店などを展開していきました。(現在、渋谷道玄坂店、経堂店は閉店。)

当時まだまだ黎明期であったらーめん通販にも着手。また、スープ作りを安定させるためにセントラルキッチンの構築も手掛け、千葉から全国へ展開できる基礎を築きました。

「継承」

大将が良く言っていた「いつも同じ事をやっているのはそれは退化して行く事だから、常に寸胴と世の中の情勢を見て行かないとダメだ!」の言葉通り、味の継承をしていくのも大切ですが「ちばから」の名前もいつまでも継承できる様に進化し努力しながら進んでいきたいと思ってます。